狂言について書かれた本「狂言じゃ狂言じゃ」(茂山千之丞)の中に、狂言の立 ち姿について説明するくだりがある。 簡単にまとめると、 狂言の腰を入れて手を身体の脇に見えないように付ける不自然な立ち姿は、 ひとえに次に続く仕草を全て目立たせるためのものであるそうだ。 古典とはいえ狂言は笑いを取るためのコメディ、 演出に関してもちゃんと計算されているのである。 では翻ってみて、例えば漫才の立ち姿と仕草はどうであるかみてみたい。
一昔前の漫才師の立ち姿は、皆、びしっと決まっていた。 例えば、夢路いとし喜味こいしの、 互いに正面を向いて決める姿は安定していて美しくもあるが、 その姿が安定しているが故に、 「おいちょっと待てえよ」と横を向いて突っ込む動きのコトの異常さが強調される。
最近の漫才師では、例えばCOW COWは立ち位置立ち姿が古典的なくらいきっち りきまっているので、多田の繰り出す「変な仕草」がはっきり目立っている。
中川家では、礼二が真正面を向きどっしりと構えて話をし、その横で剛がちょ ろちょろするという、静と動の対比による面白さがまずある。そして剛に礼二 がキレて静から動へと変化する面白さがそれにカブってきている。
贅沢を言うなら、礼二がキレるときには、この理由から、大声だけじゃなくて、 大きな仕草(子供のけんかみたいに手を振り回すとか)も付けたほうが静から動の 対比があってより面白く、かつ、また静に戻るときにも笑いが取れると思う。
それでは、最近増えている立ち姿がフラフラしている漫才師は ダメかというと必ずしもそうではない、
例えば品川庄司は立ち姿がちょっとフラフラしているが、 フラフラしているがゆえに、「品川ですっ!」の止めポーズが効いてくる。 ダンディ坂野も神経質にフラフラしている途中に「げっちゅ」の止めポーズが 入って決めている(しかも決まらない)のが笑いを誘っている。
常に首をこね回しているビートたけしのギャグは「コマネチ」のような 止め絵のギャグが多いのと同じパターンであると考えられる。
仕草の面白さでは、 それまでの立ち姿が総てネタフリに相当しているのだ。 それをどこまで自覚して演出しているかが問題となるのだ。
アンジャッシュのような、常にフラフラした姿で仕草の面白さをつかわないの も「シャベクリマンザイ」としては有りなのかもしれないが、ちょっとした演 出で面白味が変ってくるのだから、それを使わないのは勿体ないような気がする。
(2003-02-23)