漫才は、客に話しかけながら相方と会話をするという矛盾した行動をとらなければならない。 そのため独特の所作が編み出されている。 今回は視線に注目して漫才師の所作について述べてみたい。
いわゆる古典的な漫才の場合、それぞれ客に向いたまま会話をし、 ツッコミの時だけ相方の方を向く。
会話としては不自然であるが、客に向いて話すことで客をつかみ易く、演芸的である。 代表的な漫才師は、オール阪神巨人、中川家などが挙げられる。 三河漫才の太夫才蔵も、互いに顏を合わすことなく掛け合いで歌う点を見れば、強引に言えばこのパターンであると言えるかもしれない。
最近の漫才師(多分、ダウンタウン以降だと思う。)は、古典的な漫才と違った演劇的な所作をする。 典型的には、最初のあいさつは客を向いて話すが、 あとは互いに相方と向き合いながら会話をする。
会話として自然であり演劇的である。そのため会話から漫才芝居にすぐ移行することも多い。 例えば麒麟の漫才がそうである。 客を見ずに会話を進めるため、客をつかみにくい欠点がある。
ただ、典型的に演劇的な所作をする漫才師は少なく、古典的な所作と組合せて実行している漫才師の方が多い。 組合せる方法は漫才師毎に個性がある。 例えば話題フリの時は客を向き、 話題ウケは相方を向いて話すパターン、 話題フリも話題ウケも話始める時に客をむき、話しながら相方へ向いていくパターンなど、 大概、客へ視線を少し配って、客を無視して話しているのではないというメッセージを所作にこめている。
転機となったと思われるダウンタウンの漫才は、最初は松本も浜田も客を向いたまま会話をするが、 漫才が進みツッコミが激しくなるのに従い互いに向き合ったまま会話を進めるようになり、 そのままシュールな漫才芝居に突入する。 最初は古典的な所作で客をつかみ、だんだん演劇的な世界へ引き込む上手い構成である。
とりあえず、漫才師の視線は不自然であること、 その不自然さの取り扱い方から、古典的な漫才と最近の漫才の違いが示せたと思う。
この違いが生じた理由として、いくつか予想してみると、
ともあれ、古典的(演芸的)な所作、演劇的な所作それぞれに利点欠点がある。 ダウンタウンの漫才のように、それらを理解した上で上手く使い分るのことが求められているのではないだろうか。
(2006-11-29)