From: YOSHIDA Naohiro <yoshidanaohiro@geocities.co.jp> Date: Wed, 28 Mar 2001 03:19:29 +0900 Subj: [WS]日記 そうです。私の昔書いていたネット日記にも自分の 生活を書くその先に「ネットナンパ」という目的が あったから輝いていたのです。なんつって。このWackie SystemはE-mailにこだわったシステムですが、やってくれました、 GOO。その名もメール de GOO とい う、ネーミングセンスが私と同程度の、検索サービス、
From: KIMURA Takashi <wackie@mbb.nifty.ne.jp> Date: Tue, 27 Mar 2001 01:11:19 +0900 Subj: Re:[WS] 美術モデル去年の12月のsuneye氏の「モデル」の話への反応です。(もう3ヶ月経ったのか) > ほんとうに描きたいものはモ >デルを突き抜けた先にあって、モデルはそのための手掛かり(model)に >すぎない。 という事実は、例えば私らが「物理モデル」を扱う態度を考えれば非常に納得 できる。ビッグバンのモデルとか、分子モデルとかは、モデルをつくるのが目 的ではなくて、そのモデルを使ってその先のナニカを表すのが目的なのだ。 美術のモデルだって同じ「モデル」なのだって言われるまでは思いつきもしな かった。違う用法だから違う意味だと思いこんでいたが、同じ言葉なのだから、 同じ意味が通底しているんだよなあ。 だから例えば、自分をモデルにした私小説というものは、自分を表現すること が目的ではなくて、自分を手掛かりにして、その先のナニカを表現することが 目的なのだ。自分のことを書けば私小説になるとか、あるいは私小説に書かれ たことはすべて事実だと考えるとかは、あたりまえだが勘違いなのだ。これが 判って、ちょっと難解だった坂口安吾の私小説のいくつかが理解しやすくなっ た。 この「その先にあるナニカ」を表しているかどうかが、前にも論じた日記の面 白い面白くないの、分岐点の1つなんだろう。 傍見 / 木村
From: KIMURA Takashi <wackie@mbb.nifty.ne.jp> Date: Mon, 26 Mar 2001 00:54:28 +0900 Subj: [WS][GET] 漫才とコントの間で最近は漫才師とコント師の間の垣根が低くなって、漫才師がコントもやること が多くなった。ところでコントと漫才の違い、特に漫才の中にも芝居型式の表 現があるがそれとの違いは何だろうか。 型式を比較すると、コントは演劇の文法で表現されるので舞台に立った時から 降りる時までずっと役を演じているが、漫才芝居は、最初は漫才師として話し、 芝居を演じ、最後はからなず漫才師に戻って芝居を壊し、終わる。 漫才芝居は、ゆえに、いつでも、途中でも素の語り手に戻ることができる。そ の変化や落差が面白みや可笑しみを産みだしている。落語家が噺の途中に素の 解説で笑かすみたいなものだ。だから、変なやつに醒めた解説風の突込みを入 れる流行のパターンは本当は、コントじゃなくて漫才芝居の方が突込みは効果 的になるんだと思う。 漫才芝居のこの性質の欠点としては、例えば「不条理な状況」に追い詰められ ても、素に戻って逃げられることが挙げられる。こういう状況追い詰め型は、 役を「演じ続けなければならない」、コントでなければ成立しない。コント55 号の二郎さん苛めが成り立つのもコントだからだし、ハイヒールの「ケンカね た」や、最近、耳なりが挑戦しているメタねたは、漫才と見せかけたコントに することでこの効果を上げているわけだ。 以上、漫才芝居とコントの型式の違いと、それから導いた向き不向きなネタの 存在の簡単な考察でした。 傍見 / 木村
From: KIMURA Takashi <wackie@mbb.nifty.ne.jp> Date: Mon, 19 Mar 2001 01:39:47 +0900 Subj: [WS] 落語は文体である先日のNHK教育TVの日本の話芸で文治の高座が放送されたが、その演題が「源 平盛衰記ひろいよみ」源平盛衰記といえば、琵琶法師ないし講談の本で、しか もそれをひろいよみでは落語になるのか? と思ってたら、文治が詠むとこれがちゃんと落語になるんだ。 ちょっと調べても、東京かわら版3月号に載ってるだけで、花緑がシェークス ピアを演ったっり、志らくがローマの休日を演ったりしている。本当に落語は モチーフを選ばない。 落語を落語たらしめているのはテーマやモチーフではなく文体なのだな、と思 う所以である。 比較するに、例えば漫才は現代性、同時代性が売りであるとともに制限であっ て、時代劇や洋物、SFをモチーフにしたものは想像し難い。漫才師コントも同 様である。これらはテーマやモチーフを選ぶ「型式」なのである。もっとも軽 演劇だとなんでも取りこむエネルギーを持っているので、この分類は実は普遍 的なものではないと思うが、その話はまた改めて。 とにかく、落語は文体なので何でも取り込めるし、実際、講談や他の芸能を貪 欲に取り込んできた。今は落語が古典芸能扱いで、新作については落語にかぎ らずオリジナリティ至上主義が強いのであまり誰も試さないけど、まだまだ、 取りこめるものが、沢山あるのではないかと、つらつら思ったりしているので ある。 傍見頼路
From: SANAI Keijiro <SGM02522@nifty.ne.jp> Date: Fri, 02 Mar 2001 11:59:29 +0900 Subj: [GET][WS]魔術的リアリズムノイエ・ザハリヒカイトは、個々の作品の魅力にも関わらず、たとえば シュルレアリスムのようには一般には知られていないし、展覧会のカタロ グや雑誌の記事のような散発的な資料を除けば、まとまった画集や研究書 はあんまりない。美術史家や評論家にとっては取り上げにくい事情もある らしい。日本語で書かれた本としては、種村季弘の「魔術的リアリズム」 がほとんど唯一のものだと思う。ところがこの本も、たぶんもう簡単には 手に入らないし、今はわたしの手元にもない。 滅多に家の外に出ないので、電車に乗るのもせいぜい月に1度くらいな のだが、用があって新宿へ出かけたついでに紀伊国屋書店に寄ってみた。 もちろんノイエ・ザハリヒカイトについて書かれているような本はみつか らず、7階から階段を降りている時に、なぜか突然スチールの書棚の真中 に「魔術的リアリズム」が置いてあるイメージが頭に浮かび、早稲田の古 書店街に行けば必ずこの本が手に入るという予感がした。 早稲田には美術書を専門に扱う古書店は2件しかなく、東洋美術の店と 西洋美術の店が通りを挟んで向かい合っている。あの本を置いている店が あるとすれば、この西洋美術関係の古書専門店しかない、とゆーのは実は 20年前の記憶を頼りにしているので、案の定、行ってみたら古書店だった 場所はローソンになっていた。予感なんてぜんぜんアテにならないのであ る。 でもまあ懐かしいので、20年前に毎日やっていたように高田馬場駅に向 かって古書店巡りをして、いろんな本を買いながら帰ったのだが、ある店 で思わず声を出して笑ってしまった。紀伊国屋書店で頭に浮かんだイメー ジのとおりに「魔術的リアリズム」があったからである。店主に「こんな こと、あるんですねー」と言うと、「うち、そういうお客さん多いんだよ ね」と言っていた。古書店の主にとっては珍しくもないことらしい。 古書店街を抜けて戸塚2丁目まで戻って来たところで「コーヒーと名曲 の店らんぶる」の椅子にへたり込む、なんてことは昔はなかったのだが、 画集や単行本をつごう14冊持って歩くのはけっこうしんどい。昔と違って 体力がナイのである。 suneye@mscom.or.jp http://www.mscom.or.jp/~suneye/ 佐内啓二郎
From: KIMURA Takashi <wackie@mbb.nifty.ne.jp> Date: Sun, 11 Feb 2001 20:00:52 +0900 Subj: [WS] 同人誌■コミティア55 □浪花愛 来訪者25、ねこばなし22、むしぐらし □佐野絵里子 玉ぞちりける、桜のいろは □和田智巳 ゆきのおと、きろぽすと □CLOCKWORKS 時計仕掛けの少女たち □東雲騎人 怪鬼画集 風の道、夢の跡、妖怪伝火の巻、国士無双、百鬼の章 □無極庵 琉球創世神話、須弥山、守護神十二天、アイヌ □加藤礼次郎 セクシーコップKISS! □半分はんぶん アルチザン++ウィザード □壷中庵 停留所の寓話 □滝季山影一 オブチといっしょ、THE SHARK HEADS □青木里乃 飼ってはいけない □春咲小紅 性の暴走ドキュメント、子宮の神様 □水無月河童 マハーバーラタ □WITH Double Moon □てらかわよしこ ハノイはるまき、タイでなんにも考えない □麒麟館 図書館のおねーさん4 □タカノ ユウ 日本霊場巡り日光編 □みなもと太郎 挑戦者たち、仁義なき忠臣蔵 □たむらゆうこ 寧日、マニーチャイルド リッチチャイルド、 ハッピーラッキードンウォーリー、チョコレートイーター、 マテリアルガールズブラボー、ガールフレンズ たくさん買ってしまいました。コミティアくらいの規模が見てまわるには丁度 いいかも。 傍見 / 木村
From: SANAI keijiro <SGM02522@nifty.ne.jp> Date: Wed, 10 Jan 2001 06:41:00 +0900 Subj: [WS]牧野邦夫ベラスケスとかカラヴァッジオとかレンブラントとか、絵描きにとっ ては人間とか芸術家とかゆーより神に近い存在だと思える巨匠と一緒に並 ぶべき作家が牧野邦夫である。牧野の絵は、奇跡だ。 生前に画業にふさわしい評価を得ることがなかった牧野の絵は一部の熱 狂的な個人コレクタが所有するところとなり、わたしは美術館で牧野の絵 を観たことは一度もない。だが、まあ、ぼちぼちこれらのコレクタも死ぬ 頃だし、日本の相続税法は近いうちに牧野の画業を一般に公開してくれる ことになるだろう。 牧野のすごさは牧野の絵を1度でも観た人は生涯忘れることはないと思 うが、Web でどこまで伝わるものかは甚だ疑わしい。それでも、牧野の最 後のモデルでもある奥さん(「ちほ」として彼の絵にしばしば登場する) の Web ページは見て損はない。 http://www.kaigai.net/makino/ suneye@mscom.or.jp http://www.mscom.or.jp/~suneye/ 佐内啓二郎
From: SANAI Keijiro <SGM02522@nifty.ne.jp> Date: Wed, 10 Jan 2001 06:40:57 +0900 Subj: [WS]研究所20年近く関わってきた美術研究所が昨年いっぱいで閉鎖された。 なんで潰れないのか不思議なくらいデタラメな運営方針の研究所だった が、いざなくなってみれば研究生全員右往左往。都内では公募展向けの大 きな絵を描くスペースを常時確保しておくだけでもたいへんなことだし、 特に立体の作家は辛そうだ。 実際には辛そうに見えるだけで、場所がなくなったから描かないなんて ことは絶対になくて、絵を描く人間はどんな状況でも絵を描く。 この研究所の最後の2週間は、研究生の投票でこれまでに描いたモデル さんの中から10人を選んで、日替わりで描いてみようや、という話になっ た。通常はモデルさんの選択はプロダクションにお任せで、描き手がモデ ルさんを選ぶとゆーことは案外やらない。結婚して引退して子供もいよう とゆーモデルさんにも声を掛けちゃうのである。おそろしく贅沢な話なの である。こーゆー状況ではモデルさんも描き手も張りきる。 1度だけモデルさんを模型ではなくて人間として描いてしまったことが ある。このポーズが終わったら入院して手術をするので、体に傷跡が残る から美術モデルの仕事はこれが最後、というモデルさんを描いたときだ。 気合が空回りして散々なできだが、この絵は俺が死ぬまでにやりたいこと の方向を示していると思う。 とりあえず、居間の照明をアトリエ用に改装するのにいくらかかるのか が当面の問題だったりする。 suneye@mscom.or.jp http://www.mscom.or.jp/~suneye/ 佐内啓二郎
From: SANAI Keijiro <SGM02522@nifty.ne.jp> Date: Wed, 10 Jan 2001 06:40:52 +0900 Subj: [WS]噺正月早々小きんが死んで、ぜんぜん意外じゃなかったことに落ち込んで しまう。枝雀も小きんも、最初に高座を観た時から自殺する芸人の顔をし てたから驚くようなことは何もない。観るほうがこの程度だったら黒門町 だって自殺してたと俺は思う。 基本的に独演会にはあんまり行かない主義で、ミソもクソも一緒くたに 出てくる寄席のほうが好きだが、たまたま小朝の独演会に行ったら、下座 から大神楽までぜんぶ自分の門下で固めて興行を打ってた。小朝の力に合 わせて周囲も寄席では観られないくらいの水準の芸をやってたし、まさに 一枚看板の風格だった。 実は小朝の芸はあまり買っていない。生涯どうにもならないだろうと思 うが、芸に品がない。こぶ平のおふくろが死んだら即座に林家正蔵を継ぐ 気でまわりを固めてるんだろうが、高座を観ると足元が固まってるように は見えない。ムチャクチャに下手で、自分がどれだけ下手かを自覚しつつ 首も吊らずに完璧にスジを通して大名跡を守った正蔵(彦六)を、上手い だけで下品な奴が継ぐと思うと情けない気もする。 suneye@mscom.or.jp http://www.mscom.or.jp/~suneye/ 佐内啓二郎
From: YOSHIDA Naohiro<yoshidanaohiro@geocities.co.jp> Date: Mon, 01 Jan 2001 15:28:43 +0900 Subj: [WS]謹賀新年本年もどうぞよろしくお願いいたします。 コンピュータ技術的にはちょっとは最新の流行を追わないと 寂しくなる一方と思ってます。 例えばi-モードをどうしようかな。
From: SANAI Keijiro <SGM02522@nifty.ne.jp> Date: Thu, 07 Dec 2000 06:46:21 +0900 Subj: [GET][WS]美術モデル最近、アドレスを公開してあちこちに無茶な書き込みをしているので、 見知らぬ人からいろんな E-Mail を頂く。絵のモデルをしてみたいとゆー 人は意外に多いらしい。 絵を描くための技術的な向上を目的とするなら、人体はあまり適当な教 材ではない、とゆーことが最近徐々に認められるようになってきた。受験 予備校も美大もカリキュラムから人体を対象とする授業を大幅に減らす傾 向にある。効率とゆー観点から見れば、たいへんいいことだとわたしは思 う。一般的な美術教育が提供するメソッドは今でも恐ろしく非効率的であ る。徐々に修正されつつあるということだ。 が、人体を描くことが絵を描くための訓練の中で重要な位置を占めるら しい、とゆー一般的な誤解はなかなか解けそうもない。 もうひとつ根強い誤解がある。 ごく単純に乱暴に言うと、人間を対象にして描く場合、対象そのものの 人格を描こうとする絵描きも確かにいるが、対象を手掛かりにしてぜんぜ ん別のものを描こうとする絵描きのほうがはるかに多いとゆーことが案外 知られていないようなのだ。 人体は、たぶん今でもどんな絵描きにとっても特別なモチーフである。 実際に人体を目の前にすると、目から飛び込んでくる情報は途方もなく多 く、それらはべらぼうに美しい。ほとんど圧倒的である。ここにとどまっ てモデル自体を描いてみたいとゆー誘惑にほとんど抗しかねることもしば しばある。が、ほとんどの絵描きにとって、ほんとうに描きたいものはモ デルを突き抜けた先にあって、モデルはそのための手掛かり(model)に すぎない。いかに圧倒されても、そこにとどまっているわけにはいかない のだ。 わたしのよーな者にも美術モデルとゆー仕事がつとまるでしょうか、と ゆーメールからは、自分の人格をなんらかの形にしてもらいたいとゆー真 摯な欲求が読み取れる。だが、絵描きがそーゆー欲求を満たすものだと感 じられるモデルがいるとすれば、たぶん錯覚だと思う。 錯覚でも欲求を満たすことはできるし、この世はすべて真剣に立ち向か うべき重要な錯覚からできているのだとすれば、これも同じくらい重要だ とは思うが、錯覚には違いない。 真剣に錯覚してる人に、それは錯覚だと思う、とゆーのはしんどいこと だが、これらのメールにはいちいちこーゆーことを返信している。 suneye@mscom.or.jp http://www.mscom.or.jp/~suneye/ 佐内啓二郎
From: SANAI Keijiro <SGM02522@nifty.ne.jp> Date: Mon, 13 Nov 2000 13:19:55 +0900 Subj: [WS][GET]秋の公募展コンクール展の絵を搬入代行業者に渡して、その日のうちに次の公募展 の絵を描き始めた。公募展はコンクール展のような真剣勝負でなく、何 をやってもいい、お気楽な展覧会と位置付けている。 数年前からノイエザハリヒカイトが気になっている。 ノイエザハリヒカイトとゆーのは、1920年代のドイツ、ヴァイマール共 和国らへんの、ある一群の作家たちの絵を指す。残念ながら、印象派や シュルレアリスムの作家のように一般に名前を知られている作家はほと んどいない、と思う。 Neue は「新しい」、Sachlichkeit は「即物性」だが、驚いたことにド イツ語には Realism に相当する単語が存在しないらしく、写実のこと も Sachlichkeit と言うらしい。つまり、昔の「新しい写実主義」であ る。 なんのことはない、具象も具象、実在するものを細部まで精密に描写す るバリバリの写実である。今となっては、どのへんが新しいのかはよく わからない。ノイエザハリヒカイトには一見して何が描かかれているか わからないような絵はない。でも、ヘンなのである。 シュルレアリスムはミシンとこうもり傘が手術台の上で出遭ったりする からヘンなのだが、ノイエザハリヒカイトは描かれている個々のモノに も、描かれているモノの組み合わせにも、なんらヘンなところはない。 たいがいの人は「なんかヘンだ」と思うだろうが、どこがどうヘンなの かを説明するのは難しいかもしれない。まあ、説明する必要もナイが。 70年も昔の遠い国の絵描きが描いたヘンさを、今あえて跡付けることに 何か意味があるのかとゆーと、わたしはあると思ってるわけだ。だから そーゆー絵を描いて、きのう公募展の搬入代行業者に渡した。 まさかあのフシ穴連中がわたしの絵からノイエザハリヒカイトに思い至 るとは思えないし、なんの変哲もない空だの海だの人だのを描いた絵を 見て、なんかヘンだと気づく程度の感性を持ち合わせてるかどうかも疑 わしいのだが、とりあえず、審査員のひとりとゼニカネの絡んだモメゴ トを起こしてることが審査結果に反映したりしなければいいんだけどな あ、とは思う。東京都美術館での展示の可否を握ってるのは連中だが、 展示されなければ観客の反応を観察することができず、この絵を描いた 意味もナイ。 suneye@mscom.or.jp http://www.mscom.or.jp/~suneye/ 佐内啓二郎 suneye 一応、入場券を送っときますが、展示されないようだったら、また連絡 します。 > 傍見さん
From: KIMURA Takashi <wackie@mbb.nifty.ne.jp> Date: Tue, 07 Nov 2000 07:04:43 +0900 Subj: [WS] E-MAIL
傍見 / 木村
From: KIMURA Takashi <wackie@mbb.nifty.ne.jp> Date: Sun, 05 Nov 2000 23:34:58 +0900 Subj: [WS] 計画
11日(土)■ラグビー試合 vs 東芝 K.O. 15:00 於 浜田山G
12日(日)■ラグビー試合 vs 三鷹オールカマーズ K.O. 14:00 於 三鷹大沢G
18日(土)■トナカイ集会
23日(祭)■友人の披露宴 18:00- 於 北青山
25日(日)■モンティOFF会 13:00- 於 荻窪
十二月
02日(土)■友人宅襲撃
傍見 / 木村
From: KIMURA Takashi <wackie@mbb.nifty.ne.jp> Date: Mon, 06 Nov 2000 05:58:12 +0900 Subj: [WS] 世界の把握■我々の目が見ているものと、脳が見ているものが違うという話の続き。 ●神経症について香山リカの本に興味深い話があった。 (離人神経症の現実感喪失について) 遠近感もなくなっちゃっていて、風 景を見ても、遠い・近いではなくて、小さい・大きいとしか見えない、と 言うんです。山が遠くに小さく見えていると、あれは遠くにあると思うん じゃなくて、小さい山だと思うと言うのね。 (香山リカ;『香山リカのきょうの不健康』p22) 脳の機能が損なわれていると例えば遠近感が分らなくなる。言いかえると、目 が見ているのは例えば大小だけで、脳が翻訳して初めて外界の配置が認識され る。『幻影の構成』で眉村卓が描いたイミジェックスみたいなものが、実は人 間の脳には原理的に組みこまれていて、しかもそれ無しには世界が把握できな い訳だったんだ。 もうひとつ、「目に見えるとおりに」描かれた絵は「神経症の人の現実感」に 近いのではないか。先日、suneye氏が例に挙げた上田耕造画伯が描いた、夜空 の月の絵が、単純な構図なのにじっと観ていると気が狂いそうになるのは、こ の神経症的な現実感のせいなんじゃないか。 ●ことほどさように目に見える事実をそのまま把握するのは危険な訳なんだけ ど、神経症に耐えながら、神を殺したりして、ひとつひとつイミジェックスを はずしてきた時代が近代だったはずだった。現代、そしてはこれからはどうな んだろう。 ■話かわって、写生の話のメモ 江戸時代の画家、円山応挙の研究者の記事が朝日新聞に載っていた。 応挙は写生派の祖といわれます。絵かきの目に映るものをその通りに描く のではなくて、見る人の目にどう見えるか、ここを計算して描くところが、 ただの「写生」と違うんだそうです。 (『名画日本史 龍虎』朝日新聞日曜版 2000年10月1日) 日本画の写生派は、目に見えるとおりに描くのではなく、観客の目にどうリア ルに写すかがポイントだったようだ。 木村 / 傍見
From: SANAI Keijiro <SGM02522@nifty.ne.jp> Date: Sun, 29 Oct 2000 09:27:49 +0900 Subj: [WS]カラリと忘れて次の仕事して今年の夏は不飽和脂肪酸と酸素の反応速度を決める温度と湿度が理想的 だった。別の言いかたをすると、絵の具がよく乾いた。 市販の絵の具には不満も多いが、前工程に少しでも不満を感じたら、作 業を中断して、シエナやボルネオや都幾川から取り寄せたり拾ってきりし た岩を乳鉢で摺って、自分で精製した油と練り合わせて、自分で絵の具を 作った。その時間も十分確保した。自分では手の出しようがない前工程も あるが、わたしが知るかぎり信頼できない部分はなく、不満の矛先はすべ て自分自身に向かった。こんなに幸せな仕事は滅多にない。 餓鬼と嫁を海外旅行に出して、毎日ひとりで絵だけ描いていた。望みう る最高のコンディションで、いま自分が描ける最高の絵を描いた。うまく いけば、わたしと嫁と餓鬼が2年くらいは喰える額で引き取ってもらえた んだが、ダメだと言われたんだから、まあ、しょうがない。 他人はどうか知らないけど、俺の絵に関しては職業=作品=人格と考え てもらいたい、と主張してる人間にとって、言い訳の余地がまったくない 状態でした仕事がダメと言われて、そーゆー仕事ができた幸せと、俺自身 否定された辛さとがないまぜになって、いつものように大酒飲んでる。 suneye@mscom.or.jp http://www.mscom.or.jp/~suneye/ 佐内啓二郎
From: SANAI Keijiro <SGM02522@nifty.ne.jp> Date: Wed, 18 Oct 2000 00:05:58 +0900 Subj: [WS]Re:デッサン見えたものをそのまま描こうとした絵として有名なのに、エルンスト・ マッハの「認識論」(だったかな)の挿絵があるんですが、これは片目つ ぶった状態で見えた光景を描いています。両目で見た風景をこーゆーアプ ローチで1枚の絵にするのは、たぶん不可能でしょう。かなりゴマカシも ある稚拙な絵ですが、他にこーゆー絵はあんまり知りません。 上田耕造に「見えた通りに描こうと努力した」という絵がありますが、 これは建物の辺などがきっちり曲線で描かれています。現物が今どこにあ るのか知らないし、図版で紹介されてる本もすでに絶版なんですが。 最初にこの絵を観た時、わたしは不覚にも広角レンズで撮影した写真を 使って描いたのだろうと思ってしまいました。 suneye@mscom.or.jp http://www.mscom.or.jp/~suneye/ suneye
From: KIMURA Takashi <wackie@mbb.nifty.ne.jp> Date: Sun, 15 Oct 2000 20:23:21 +0900 Subj: [WS] 計画
21日(土)■トナカイ集会
27-28日 ■職場懇親会旅行 for 箱根
29日(日)■ラグビー試合 vs 警視庁 K.O.16:00 於 東大駒場G
十一月
11日(土)■ラグビー試合 vs 東芝 K.O. 15:00 於 浜田山G
12日(日)■コミティア
傍見 / 木村